金木観光物産館「マディニー」MADENY - 太宰治記念館「斜陽館」

金木観光物産館「マディニー」MADENY - 太宰治記念館「斜陽館」

太宰治 小説「津軽」より

津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これという特徴もないが、
どこやら都会風にちょっと気取った町である。

善く言えば、水のように淡白であり、
悪く言えば、底の浅い見栄坊の町という事になっているようである。

斜陽館内観

斜陽館内観斜陽館内観斜陽館内観

斜陽館内観斜陽館内観斜陽館内観

斜陽館とは

太宰 治(田村 茂 氏 撮影)  明治の大地主、津島源右衛門(作家太宰治の父)が建築した入母屋造りの建物で、明治40年6月に落成しました。

 米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使い、階下十一室二百七十八坪、二階八室百十六坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約六百八十坪の豪邸です。

 太宰は、この家を「苦悩の年鑑」の中で「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである。」と書いてあります。

 この豪邸も戦後になって津島家が手放し、昭和25年から旅館「斜陽館」としての町の観光名所となり、全国から多くのファンが訪れていました。

 しかし、平成8年3月に町が買い取り、旅館「斜陽館」は46年の歴史に幕を下ろす事になります。

  また、昭和40年5月、芦野公園の登仙岬に太宰文学碑を建立。太宰が生前、もっとも好んで口にしたといわれるヴェルレーヌの一節が刻まれています。

 

県立芦野公園 文学碑撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり

 碑の最上部はラフェナールに黒で炎を現し、その中に「不死鳥」が金メッキで浮き彫りにされています。

 この不死鳥は火の中に飛び込み古い身を焼き、五百年に一度、新しく生まれ変わるというギリシャ神話から引用して太宰の生まれ変わりを意味しています。中央の鉄格子は「人間の道には狭いけわしい一つ一つの門がある」ということを意味するもので、太宰がよく遊んだ芦野公園、大倉岳、賽の河原などがよく見通せることも加味して製作されました。

 金木町では毎年6月19日「桜桃忌」を開催してきましたが、同日は太宰の誕生日でもあり、平成11年からは「生誕記念日」として催されています。

太宰治略年譜

1909(明治42年)当歳 6月19日に生まれる。
1916(大正5年)7歳 金木第一尋常小学校に入学。読書が好きであり成績はいつも優秀であった。
1922(大正11年)13歳 明治高等小学校に1年間通学した。成績は抜群だが腕白であった。
1923(大正12年)14歳 県立青森中学校に入学
1925(大正14年)16歳 文筆活動活発になる。「最後の太閤」
1927(昭和2年)18歳 官立弘前高等学校文科甲類に入学。
1930(昭和5年)21歳 東京帝国大学仏文科に入学。
1939(昭和14年)30歳 1月8日井伏夫妻の媒酌で石原美知子と結婚。
1941(昭和16年)32歳 長女園子生まれる。
1942(昭和17年)33歳 10月、母夕子重体で、妻美知子、長女園子を伴って帰郷。
1944(昭和19年)35歳 長男正樹生まれる(昭和35年死亡)。小山書店から「新風土紀叢書」の一冊として「津軽」の執筆を依頼される。
1945(昭和20年)36歳 7月28日妻子を連れ、津軽に疎開することになり、31日金木の生家に辿り着いた。
1947(昭和22年)38歳 次女里子生まれる。
1948(昭和23年)39歳 6月13日、山崎富栄と共に玉川上水に入水し世を去る。一週間後の6月19日早朝、遺体が発見され、奇しくもその日、満39歳の誕生日に当たっていた。後に、その日が「桜桃忌」と名づけられるようになった。 戸籍によると死亡推定時刻は昭和23年6月14日午前零時となっている。

斜陽館詳細情報

斜陽館
住所 〒037-0202
青森県五所川原市金木町朝日山412-1
電話 0173-53-2020
FAX 0173-53-2055
開館時間 【5~10月】8:30~18:00
【11~4月】9:00~17:00
休館日 12月29日
■入館料や詳しい情報は斜陽館の公式ホームページを閲覧ください■

金木観光物産館マディニー

〒037-0202 青森県五所川原市金木町朝日山195-2
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